食料輸入が増加したのはなぜ? -食料の安全保障に関連して-post
- 藤島 廣二
- 2013年5月1日
- 読了時間: 3分
今では「日本は昔から食料輸入大国であった」と思い込んでいる人が少なくないと思う。確かに小麦や大豆等の一部の品目では、第2次大戦後まもなくして大量の輸入が行われていた。しかし、図1から明らかなように、多くの品目で輸入が顕著に増え始めたのは1980年代中ごろ、今から30年ほど前であった。例えば、時々マスコミで取り上げられる野菜の輸入動向をみると、1984年までは年間輸入量は常に100万㌧以下にすぎなかったものの、その後急速に増え始め、1990年末以降は毎年400万㌧前後に達しているほどである。 では、なぜ1980年代中ごろから多様な品目の輸入量が大幅に増え始めたのであろうか。よく言われるように「食の洋風化」が原因なのであろうか。確かに小麦の輸入量が増えたのはパン食という「食の洋風化」が主因の一つであったことは間違いないであろう。しかし、「食の洋風化」は第2次大戦後ほどなくして始まっていることから、これを1980年代中ごろ以降の輸入急増の主因とするには無理があろう。 となると、主因は何であろうか。やはり、その一つは1985年9月のG5のプラザ合意を契機とした円高であろう。どれほどの円高であったかというと、プラザ合意前の為替の交換レートは1ドルが240円ほどであったのに対し、1995年4月19日には一時的ではあったものの1ドルが79円75銭になったのである。現在では1ドルが79円だ、80円だと言われても誰も驚くことはないが、当時はわずか10年間に240円から80円へと、信じがたいほど大きく変わったのである。ごく単純に考えれば、1985年には1ドルの物を輸入するのに240円払わなければならなかったが、10年後の95年4月19日には同じ物を80円で輸入できるようになったのである。こうした輸入品価格の大幅な下落が輸入の急増を引き起こしたのである。ちなみに、図1に見るように、多くの品目で1985年から95年にかけて輸入量が急増したが、それはまさに円高が最も急速に進行した時期でもあった。 もうひとつの主因は、農水産物生産者の高齢化等による国内農水産物生産力の低下であろう。図2に生鮮野菜の輸入量の変化と、国内野菜生産力(収穫量と出荷量)の年々の変化を示したが、これから読み取れるように生鮮野菜の輸入量が毎年20万㌧を超えるようになるのは、プラザ合意の1985年よりも3年ほど遅れた88年からであったが、その年から国内の生産力も明らかな低下傾向に陥ったのである。しかも、その後も輸入量が一時的に減少する時には、国内生産力は一時的であれ持ち直しているのである。なお、2001年の暫定セーフガードの対象品目となった白ネギの輸入が増え始めたのは1998年からであるが、この年は冷夏と秋台風によって国内産地が大ダメージを受け、白ネギの収穫量と出荷量が急減した年でもあった。 もちろん、これらの要因だけでなく、1980年代におけるリーファー・コンテナ(温度調整ができる海上コンテナ)やジャンボジェット機の普及といった輸送手段の発達も重視しなければならない。しかし、いずれにしても、日本はもともと食料輸入大国であったわけではないし、また輸入増大の主因が「食の洋風化」だけであったわけでもないのである。

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